抗うつ剤と母について

 うつ病と診断され前職を休職してしばらく経った頃、母から「抗うつ剤に頼らずにうつを治す方法」を勧めている医師の講演会に誘われたことがある。その医師によればうつとは生活習慣の問題であるらしい。確かにそれは正しい。しかしそれは、風邪をひいた人に「健康な生活には適度な運動が必要」という言葉の正しさを用いて運動を勧めるようなものではないかと思う。

 ある一面においては正しい主張も、タイミング次第で当事者にとっては無意味なものになる。長期的に見れば生活習慣の改善を通してうつを寛解に導くことも必要だろう。しかしその頃の自分が抱えている直近の問題は、「もう死んでしまいたい」という自分の感情や、眠りたくても自己嫌悪に苛まれて眠れない苦しみなのである。生活習慣の改善を通してそれらは何時かは軽減されるかもしれないが、何時かでは困るのである。今現在の苦しみを軽減してくれる方法を切実に必要としているということを遂に母には理解してもらえなかった。

 母の言動からは自分の息子が抗うつ剤を服用していることへの嫌悪感しか感じられなかった。結局、このことがあってから自分からは母に自分の病状のことや病院のこと主治医のこと抗うつ剤のことを話すことはなくなった。

 しかし最近改めて母に自分が抗うつ剤を飲んでいることを説明しなければならないことがあった。

 抗うつ剤を服用し始めてから食欲が増進しその結果体重が増加した。食欲増進は抗うつ剤の副作用としてはよくあるものだが、母はそれについて度々俺は責めるようになった。家族、親戚のいる場で俺の体重を話題にし困っていると話し、事あるごとに俺に体重を尋ねるようになった。

 次第にそのことがストレスになり気分が落ち込むことが多くなってきたので、母に抗うつ剤の副作用であることを説明した。母は俺に「まだ、薬を飲んでたの?」と言った。そして今まで説明しなかったことについて抗うつ剤の服用を止めることを勧めるような講演会の話を聞きたくなかったからだと言うと、母はそんな講演会の話をしたことすら忘れているようだった。