祖母の死と『自殺』

 ブログを書いてから寝ようと布団に入ったものの、寝付けずにしょうがないので図書館で借りてきた末井昭『自殺』を読んでいた。読んでいたもののその間眠気もなく、とうとう一冊読み終わってしまったので、こうしてまたブログを書いている。

 17日は一日中就職の志望先からの採否の連絡を待っていたが、普段は全く連絡のこない携帯に入ってきたのは父方の祖母が亡くなったという知らせだった。

 理由あって幼少の頃から父とは別居しており、祖母との思い出もほとんどない。それでも身内には違いないのでそれなりに思うところはある。その辺から『自殺』を読むに至ったが、うつ病の人間が祖母の死を知った日の眠れない夜に読む本ではなかったと思う。本自体はいい本だったが。

 日付が変わって今日の夜には通夜があり明日には葬式がある。葬式に出す花輪の名義だの香典をいくら包むかだの考えていると人間死ぬときは誰にも気づかれずに塵になって風で吹き飛ばされてお終いでいいのにと思った。これは自分が祖母に対して大した思い入れがないからで、思い入れのある人の死だったらこうは考えないだろうと思う。

 手持ち無沙汰に夜を過ごしていると嫌な考えばかりが浮かぶ。いわゆる「認知の歪み」と呼ばれる考え方が連鎖的に発生して、本を読むか、こうして文章書くことで紛らわすしかなくなる。

 よく「認知の歪み」として紹介される考え方を見て一時的には気持ちが楽になることはある。しかしよくよく考えて見れば、自分の考え方が「認知の歪み」だと認識しても頭はそんな認識とは関係なくそう考えてしまうのだから、診断はしても治療はしない医者のようなもので実質的に何の救いにもなっていない。