変えることができるものとできないもの。二つを見分ける賢さ

 Twitterを見ていたらこんなツイートがRTされてきた。

 たしかにこれは正しい。しかし自分の経験に照らしてみたとき果たして発言者が言葉に気をつけるというレベルで済む問題なのかと思う。例えば発言者が画像の中のモノローグを実際に相手に言ったとしても、それが元になって更に認知の歪みが進むのではないか。邪推をすればモノローグで語られている内容ですら相手にとっては皮肉となり得る。

 赤の他人同士なら、そこまで関係がこじれる前に関係を解消することも出来る。しかし夫婦や家族など血縁で結ばれ何十年もかけて作り上げられた拗れた関係においては、認知の歪みを正そうとする試みも新たな歪みを呼ぶことになり結局徒労に終わる。

 以前、俺の母に対する非難について母が姉に「あれはお父さんに言わされている」と言っているのを聞いたことがある。もちろん、そんなことはなく単に俺自身の考えを伝えただけだが、母にはそう聞こえたのだろう。正直言ってそのとき「それは違う」と母に言うことができなかった。言えば喧嘩になるのが目に見えていたからだ。もし喧嘩になったら出産で里帰りしている姉にストレスをかけることになる。それは巡り巡って姉の子供達に返ってくるだろう。家族の誰も幸せにならない。

 家族が幸せに暮らしていく上で俺は母の誤解を放置するのがいいと思った。その誤解とは言い換えれば歪みだが、こうやってブログに書いている俺の母についての認知も歪んでいるに違いない。母は姉に言い、俺はブログに書く。互いに誤解を抱えてはいるが、とりあえず家族として暮らしていけているし、おそらく今後も互いに誤解を積み重ねながら家族としてやっていくためにそれをやり過ごしていくんだろうと思う。

 吾妻ひでおの『失踪日記』にアル中になった吾妻ひでおがAAミーティングに参加しその参加者たちが最後に以下の願いの言葉を読み上げる場面がある。

神様

私にお与えください

自分に変えられない

ものを受け入れる落ち着きを

変えられるものは

変えてゆく勇気を

そして2つのものを

見分ける賢さを

  ある関係における認知の歪みについても、この願いの言葉にあるような態度がいいと思う。ほとんどの場合、変えられないものの方が多いけど。