合コンのあとで真理を見る

 友人に誘われて久しぶりに合コンに行った。これまでの人生で合コン参加は片手で足りるほどしか経験がない。しかもその全てにおいて芳しい結果ではなかったので、合コンというシステムに諦めを抱いている。それでも普段家族としか会話しない現状に変化があればいいかなと友人の誘いに乗って合コンに行った。

 4対4で男側のうち二人は知り合いで一人は知り合いの職場の後輩だった。向かいに座った女性は自分の8歳上で女同士で飲むのも色気がないので合コンという形で飲みに来たといった感じの人だった。

 音楽の趣味に共通するものが合ったのでとりあえずは話題に困ることもなく淡々と時間は過ぎお開きとなった。その後自分と知り合いの一人とその後輩の三人で飲みに行き知り合いの職場でのパワハラ被害について愚痴を聞いていた。

 その愚痴を聞いている最中にパワハラ加害者から知り合いに電話が入り、「なぜ自分の電話に出なかったのか?」と30分に渡り詰問され泣きべそをかいている知り合いを見ながらビールを飲み枝豆をつまんだ。

 仏教用語愛別離苦怨憎会苦という言葉がある。八苦のうちの二つで、前者が愛するものと別れる苦しみを、後者が怨み憎むものと出会う苦しみを表している。これを真理だとするなら知り合いがあのとき直面していた仕事を辞めようと思いつめるほどの苦しみは生きている限り決して滅することはない。それは自分も同じで今は引きこもることでそれを回避しているに過ぎない。

 電話の後で知り合いが言った「同期入社の同僚を支えにして頑張っている」という言葉に、自分もいつかそんな風に思えるような人との出会いがあればいいと思った。いつか別れが来て苦しむとしても、それまでの束の間の支えを拠り所にすれば案外やっていけるものなのかもしれない。